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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)12409号 判決 1982年12月24日

原告

能藤圭介

右法定代理人親権者原告

能藤恒男

右同

能藤幾子

右三名訴訟代理人

平山知子

松井繁明

宮原哲朗

小山久子

藤倉眞

佐川京子

佐藤むつみ

山脇哲子

田島恒子

被告

株式会社京王百貨店

右代表者

森茂

右訴訟代理人

落合勲

高津季雄

被告補助参加人

日立エレベータサービス株式会社

右代表者

安藤一男

右訴訟代理人

本林徹

久保利英明

飯田隆

小林啓文

相原亮介

山岸良太

内田晴康

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告能藤圭介に対し金三六七一万九四六〇円、原告能藤恒男に対し金二二〇万円、原告能藤幾子に対し金二二〇万円及び右金員に対する昭和五四年七月一日から支払済みに至るまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告能藤圭介(以下「原告圭介」という)は、昭和五一年一月二七日生の、原告能藤恒男(以下「原告恒男」という)と原告能藤幾子(以下「原告幾子」という)の長男である。

被告株式会社京王百貨店(以下「被告会社」という)は、資本金一二億円の百貨店業等を営業目的とする株式会社であり、東京都新宿区一丁目一番四号所在の京王百貨店(以下「本件店舗」という)を経営している。

2  事故の発生

原告幾子は、昭和五四年六月三〇日、同人の母である訴外白井やよいとともに、原告圭介(当時三歳)を連れ、同児の長靴を買い求めるため、本件店舗を訪れ、同店舗四階靴売場において、子供用ビニール長靴(以下「本件長靴」という)を購入し、同売場の店員にこれを履かせてもらつたのち、エスカレーターを利用して順次下の階へと降りてきた。そして、同日午前一一時ころ、本件店舗の二階から一階へ降りるエスカレーター(以下「本件エスカレーター」という)に、原告幾子が原告圭介の手をつなぎ、同一ステップ上に、進行方向に向かい右側に原告圭介、左側に原告幾子が乗り、その一段上のステップに訴外白井やよいが乗つていたところ、本件エスカレーターの中間点よりやや上の部分に至つたとき、原告圭介の左足先が本件エスカレーターの進行方向に向かい右側のスカートガードとステップのすき間にはさまれたが、本件エスカレーターは直ちに停止せず、一階から三、四段目の位置にきてようやく停止し、そのため、原告圭介は、左足挫滅創、筋骨開放骨折(左足ⅠからⅤの足指)の傷害(以下「本件傷害」という)を受け(以下「本件事故」という)、手術の結果、左足指はⅠからⅤとも基節骨中央にて切断、断端部は右大腿内側より有茎皮弁にて被覆、足背の一部は大腿より遊離植皮にて被覆された。

3  被告会社の責任

(一) 工作物の設置、保存の瑕疵

本件エスカレーターは、本件店舗内に設置され、建物の一部を構成するものであるから、土地の工作物に該当し、被告会社が所有、占有するものであるところ、本件エスカレーターには、本件事故の原因となつた以下のとおりの瑕疵が存した。

(1) 本件エスカレーターには、本件事故の発生した中段部分にスカートガード安全スイッチ(ステップとスカートガードの間に子供の長靴などがはさまつた場合、エスカレーターが自動的に停止する安全装置)が設置されていなかつた。

(2) 本件エスカレーターの非常停止ボタンは、本件エスカレーターの上端部及び下端部の各デッキボードの左右側面にそれぞれ一か所ずつ設置されているのみで、中段部分には設置されていないため、中段部分で事故が発生した場合、同乗している保護者などがエスカレーターを止めることができず、また、本件エスカレーターの下端部の非常停止ボタンは、左右両方ともそのすぐ脇まで商品陳列棚が迫り、陳列棚とボタンとの間隔が狭いため、ボタンが見えにくく、かつ極めて操作しにくい状態となつていた。

(3) 通常、エスカレーターのライザー部分は、くし状になっており、また、スカートガード部分は、摩擦係数の低い材質を用い、あるいはテフロン加工を行うなどして、摩擦係数の低い材質構造となつているところ、本件エスカレーターのライザー部分は、くし状になつておらず、一枚の平盤な板状になつており、また、スカートガード部分にはテフロン加工が全く施されておらず、摩擦係数の極めて高い状態に放置されていた。

(4) 被告会社は、エスカレーターの上の階または下の階のエスカレーター脇に保安要員を確保し、子供や老人等が安全にエスカレーターを利用できるよう正しく誘導、監視し、本件事故のごとき事故の防止に万全を尽すとともに、本件事故のごとき事故が発生した場合、直ちに非常停止ボタン等を操作して被害の拡大を防止すべき義務があるにもかかわらず、本件エスカレーターの上下いずれの階にも保安要員を配備していなかつた。

(5) 被告会社は、エスカレーターの利用者が自らその危険性を認識し、身体の安全を図るため、店内放送、掲示、ステッカー等により、利用者にエスカレーターの危険性について周知徹底させるべき義務を有するところ、本件エスカレーターの上端部分に「お子様は手を取つて中央にお乗せ下さい」という掲示をなし、また、エスカレーター付近にスピーカーを設置し、エンドレステープを用いて右同趣旨の注意放送を行つていたが、右放送は、店内の商品等の案内の合間に、ほんのわずかな時間挿入されるのみであり、また、その音量も極めて低く周囲の雑音に妨げられ、ほとんど聞き取れない程度のものであり、更に、店内掲示も、エスカレーターの危険性を周知徹底させるには極めて不十分なものであり、とりわけ、子供のゴム、ビニール長靴は、柔軟で変形しやすく摩擦係数が高いため、ライザーとスカートガードの間に引き込まれやすく、最も事故の起きる危険性が高いにもかかわらず、その危険性については、店内放送では勿論、掲示も全くなされていなかつた。

(二) 安全確保義務違反

被告会社は、大量の人間が常時利用する昇降用機械である本件エスカレーターを設置、管理するものとして、エスカレーターの利用の安全を確保するための高度の危険防止義務を条理上負担しているものであり、その従業員が、本件店舗において、ビニール製長靴を幼児に販売し店内でこれを履かせる場合には、幼児のビニール長靴によるエスカレーター利用が極めて危険であるから、右従業員において、幼児の保護者に対し、ビニレル製長靴がエスカレーターに巻き込まれやすく危険なものであることを充分説明し、また、長靴の左右が逆にならないように正しく履かせるよう、右従業員に対し、エスカレーターの危険性、特に子供のゴム、ビニール長靴の危険性、更に、事故発生の態様等について充分教育する義務を負つていたにもかかわらず、これを怠つたため、被告会社の従業員である訴外遠藤啓世美は、エスカレーターの危険性、特にビニール製長靴がエスカレーターにはさまれやすく危険であることを全く知らず、同人は、原告幾子に対し、エスカレーターの危険性につき説明をせず、また、原告圭介に対し、ビニール長靴の左右を逆に履かせ、このため本件事故が発生したものである。<中略>

二  請求の原因に対する認否

(被告会社)

1 請求の原因第一項の事実中、被告会社に関する記載部分は認め、その余の事実は不知。

2 同第二項の事実中、原告幾子が昭和五四年六月三〇日、同人の母である訴外白井やよいとともに原告圭介(当時三歳)を連れ、本件店舗を訪れ、同店舗四階靴売場において、子供用ビニール長靴を購入したのち、本件エスカレーターに右三名が乗つた事実(但し、その時刻は午前一一時四〇分ころである)、原告圭介の左足が本件エスカレーターの進行方向に向かい右側のスカートガードとステップ(但しライザー部分である)のすき間にはさまつた事実及び本件エスカレーターが一階から三、四段目(一、二メートル)の位置に停止した事実は認め、四階靴売場の店員が原告圭介に本件長靴を履かせた事実は否認し、その余の事実は不知。

3(一) 同第三項(一)の冒頭事実中、本件エスカレーターは、本件店舗内に設置され建物の一部を構成するものであるから土地の工作物に該当し、被告会社が占有するものである事実は認め、被告会社がこれを所有している事実は否認し、その余の事実は争う。

本件エスカレーターは、建築基準法、同法施行令及び建設省通達の定める安全対策を満たすものであつて、その設置、保存に瑕疵はなく、被告会社は、エスカレーターの保守の専門会社である補助参加人との間で、保守契約を締結し、本件エスカレーターが常に安全かつ良好な状態を保つようにしていたものである。

本件事故は、被告圭介の異常な乗り方に起因するものである。

(1) 同項(一)(1)の事実は認める。

(2) 同項(一)(2)の事実中、本件エスカレーターの非常停止ボタンが、本件エスカレーターの上端部及び下端部の各デッキボードの左右側面にそれぞれ一か所ずつ設置されていたが、中段部分には設置されていなかつた事実は認め、その余の事実は争う。

エスカレーターの中段部分に、動いている乗客自身が押せるスイッチを設置すること自体不可能のように思われる。

(3) 同項(一)(3)の事実は認める。

但し、本件エスカレーターが設置された昭和三九年当時のエスカレーターは、全部ライザー部分がくし状になつていないし、また、本件事故は、スカートガードとステップのライザー部分の縦のすき間にはさまれた事故であるから、本件エスカレーターのライザー部分がくし状になつていないことと本件事故とは因果関係がない。

また、本件エスカレーターにはテフロン加工は施されていないが、テフロン加工より摩擦係数の低いシリコン塗布がなされていたものである。

(4) 同項(一)(4)の事実中、エスカレーター専属の保安要員が配備されていなかつた事実は認め、その余の事実は争う。

被告会社は、非常停止ボタンの取扱いや事故時の措置について社員教育を定期的に行つており、本件エスカレーターに案内係が配置されていなくても、エスカレーターが著しく普及しかつ正しい乗り方が周知徹底している現在、このことをもつて被告会社の過失とはいえない。

(5) 同項(一)(5)の事実中、被告会社が、本件エスカレーターの上端部に「お子様は手を取つて中央にお乗せ下さい」というステッカーを掲示し、かつ同趣旨の注意放送を行つていた事実は認め、その余の事実は争う。

被告会社は、店内放送及びステッカー類をもつて顧客に対し、エスカレーターの正しい乗り方を周知徹底していたものである。

(二) 同項(二)の事実は否認する。

訴外遠藤哲世美は、靴売場の店員であり、顧客に靴を履かせることを日常業務としていたものであり、かつ、人に靴を履かせる関係上間近に靴を見て履かせることになる者であるから、左右逆に履かせる可能性はない。他方、原告幾子が靴を買つたのは一〇時の開店直後であり、本件事故の発生は一一時四〇分ころであるから、靴購入後少なくとも一時間の空白があるのであつて、原告圭介が靴を脱ぎ左右逆に履いたのを原告幾子が見落とした可能性が存する。また、原告圭介が長靴を左右逆に履いていたことと本件事故との因果関係の有無も不明である。

4 同第四項の事実はいずれも不知。

(補助参加人)

1 請求の原因第一項の事実は不知。

2 同第二項の事実は不知。

3(一) 同第三項(一)の冒頭事実中、本件エスカレーターが、本件店舗内に設置され建物の一部を構成するものであるから、土地の工作物に該当する事実は認め、被告会社が本件エスカレーターを所有、占有している事実は不知、その余の事実は争う。

(1) 同項(一)(1)の事実は認める。

但し、スカートガード安全スイッチが各段に設置されていたとしても、そのスイッチ作動後の制動距離は一〇ないし六〇センチメートルであるため、右スカートガード安全スイッチによつて事故の発生が防げるとは限らない。なぜならば、あくまでも右スイッチが作動するためには、約一五キログラムの力が当該部位のスカートガード面に作用することが必要であり、これだけの力が作用しているときには既に靴(足指を包含する)がステップとスカートガードにかみ込まれているのであるから、そのまま数十センチメートル、エスカレーターが走行したときには、足指が損傷を受けることは必定であるからである。

またスカートガード安全スイッチ等の安全装置類増設によるマイナス面も看過することはできない。既ち、スカートガード安全スイッチは、前記のごとき力が与えられることにより自動的に作動するものであるから、靴がステップとスカートガードの間に入り込んだ場合のみならず、例えば傘の石突きが右個所にはさまつた場合、あるいは、いたずらをして右スイッチ個所をけとばし衝撃を与えた場合等にも作動することになる。このため、あまり数多くのスカートガード安全スイッチを架設し、あるいは作動開始力を右基準より低下させるときは、右スイッチの過剰反応により、エスカレーターは頻繁に停止することになり、その結果、エスカレーターの機能は著しく阻害されるのみならず、不意の停止により、エスカレーター乗客の転倒、転落といつた二次災害が頻発することとなり、乗客の安全のためのスカートガード安全スイッチがその使命とは正反対に乗客に災害をもたらす危険きわまりない装置となる可能性が極めて大である。

(2) 同項(一)(2)の事実中、本件エスカレーターの非常停止ボタンが、中段部分には設置されていない事実は認め、その余の事実は否認する。

そもそも中段部分に非常停止ボタンを設置している機種は存在せず、また、本件エスカレーターの中段部に非常停止ボタンを設置するためには、らん間部分に近接してポールを立てその先端に取付ける等の特殊工事をしなければならず、頭部や身体を外へ出して乗る乗客が右ポールに衝突する危険性もある。なお、本件エスカレーターの非常停止ボタンが格別操作しにくいということはない。

(3) 同項(一)(3)の事実は争う。

エスカレーターのライザー部分がくし状になつたのは、昭和四三年発売の新機種からであり、本件エスカレーターの設置された昭和三九年当時は、全て本件エスカレーター同様の曲面を有する平板状の構造であつた。また、本件エスカレーターのスカートガード部分はテフロン加工を施してはいないが、テフロン加工した場合のゴムとの摩擦係数をはるかに下まわるよう特殊なすべり材(シリコン剤)を塗布してあつた。テフロン加工は、一部エスカレーターメーカーで使用しているものの、加工が困難であり、特に未加工品を加工するためには、スカートガードを取りはずし、工場での焼付け処理をしなければならず、費用が高価であり、色も黒色となり美観を損う欠陥があり、また、万一剥離したときの補修も現場では不可能であると同時に、現在の摩擦低下剤の中では最高の効果を得られるものではない。

(4) 同項(一)(4)の事実は不知。

(5) 同項(一)(5)の事実は不知。

4 同第四項の事実はいずれも不知。

第三  証拠<省略>

理由

一請求の原因第一項の事実中、原告らに関する部分は、原告幾子本人尋問の結果により認められ、被告会社に関する部分は、当事者間に争いがない。

二請求の原因第二項の事実中、原告幾子が、昭和五四年六月三〇日、同人の母である訴外白井やよいとともに、原告圭介(当時三歳)を連れ本件店舗を訪れ、同店舗四階靴売場において子供用ビニール長靴を購入したのち、本件エスカレーターに右三名が乗つた事実、原告圭介の左足が本件エスカレーターの下りの進行方向に向かい右側のスカートガードとステップのライザー部分のすき間にはさまれた事実、本件エスカレーターが一階から三、四段目(一、二メートル)の位置に停止した事実は当事者間に争いがない。

三そこで、本件事故の態様等について検討すると、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

原告幾子は、昭和五四年六月三〇日午前一一時すぎころ(右時刻について争いがあるが、<証拠>を対比検討のうえ、右のとおりと認める)同人の母である訴外白井やよいとともに、原告圭介(昭和五一年一月二七日生、当時三歳五月)を連れ、同児の長靴を購入するため本件店舗を訪れたこと、右三名は、本件店舗に到着するや、四階子供靴売場に直行し、同所において本件長靴一足(黄色ビニール製、検甲第一号証)を、同売場の店員である訴外遠藤啓世美から購入し、その場で同人より、原告圭介に履かせてもらつたこと、右購入に要した時間は一〇ないし二〇分程度であつたこと、その後右三名は、他の売場には寄ることなく、四階より一階に降りるべく隆下用エスカレーターを利用して順次下の階へと降りてきたこと、同日午前一一時四〇分ころ、右三名は、二階から一階へ降りる本件エスカレーターに乗つたが、その乗り方は、原告幾子が原告圭介の手をつなぎ、同一のステップ上に、エスカレーター進行方向に向かい右側に原告圭介、左側に原告幾子が、その一段上のステップに訴外白井やよいが、それぞれ前を向いて乗つたこと、その際、原告圭介は、ステップの黄色注意標識の枠内に進行方向をむいて乗つたこと、本件エスカレーターの中間点よりやや上の部分に至つたとき、突然原告圭介が「痛い」「助けて」と叫んだので、原告幾子が見ると原告圭介の左足が、本件エスカレーターの進行方向に向かい右側のスカートガードとステップのライザー部分のすき間に巻き込まれていたので、原告幾子は大声で「止めて下さい」と叫んだこと、原告圭介及び原告幾子の叫び声を聞いて、二階の本件エスカレーターに最も近い売場の店員である訴外皆吉孝夫が、本件エスカレーターの上端部の所に駆けつけ、直ちに本件エスカレーターの上端部のデッキボードのエスカレーター進行方向に向かい右側面に設置されていた非常停止ボタンを押し、本件エスカレーターは、一階から三、四段目の位置で停止したこと、そこで直ちに原告圭介は、一階売場の店員に抱きかかえられて二階医務室へ連れて行かれ、同所で応急手当を受けたのち、救急車により訴外春山外科病院に搬送され、更に訴外東京医科大学病院形成外科に転送されそこでの診断の結果は、左足挫滅創、筋骨開放骨折(ⅠからⅤ足指)の傷害(本件傷害)を負うに至つたこと、その後同日から昭和五四年九月五日まで同病院に入院して各種手術を受けたが、左足指はⅠからⅤとも基節骨中央にて切断、断端部は右大腿内側よりの有茎皮弁にて被覆、足背の一部は右大腿よりの遊離植皮にて被覆されたこと

以上の各事実を認めることができ<る。>

四(一)  請求の原因第三項(一)の冒頭事実中、本件エスカレーターは、本件店舗内に設置され建物の一部を構成するものであるから土地の工作物に該当し、被告会社が占有するものである事実は当事者間に争いがない。

そこで、本件エスカレーターの設置または保存につき、本件事故の原因となつた瑕疵が存在したか否かについて検討する。

ところで、いわゆる工作物責任の要件としての「設置又ハ保存ニ瑕疵」があるとする場合の瑕疵というのは、その物が本来具えているべき性質または設備を欠くことであり、そのことは換言すると、危険な工作物に関して、損害発生を防止するに足りる人的、物的の設備を有しないことをもつて、その物の設置又は保存に瑕疵ありと解するのが相当である。

そこで、その点について、検討を加える。

請求の原因第三項(一)の(1)の事実、(2)の事実中、本件エスカレーターの非常停止ボタンが、本件エスカレーターの上端部及び下端部の各デッキボードの左右側面にそれぞれ一か所ずつ設置されていたが、中段部には設置されていなかつた事実、(3)の事実、(4)の事実中、エスカレーター専属の保安要員が配備されていなかつた事実及び(5)の事実中、被告会社が、本件エスカレーターの上端部に「お子様は手を取つて中央にお乗せ下さい」とステッカーを掲示し、かつ、同趣旨の注意放送を行つていた事実は当事者間に争いがない。

ところで、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(1)  本件エスカレーターのスカートガード安全スイッチの設置状況は、建築基準法三四条一項、同法施行令一二九条の一一、建設省通達「エスカレーター安全対策標準」(昭和五二年一月一九日建設省住指発第二五号)の定める安全対策標準(以下「安全対策標準」という)に合致するものであり、安全対策標準によれば、中段部分にスカートガード安全スイッチを設置することは要求されていないこと。

(2)  本件エスカレーターの非常停止ボタンの設置状況は、安全対策標準に合致するものであり、安全対策標準によれば、中段部分に非常停止ボタンを設置することは要求されておらず、また、本件エスカレーターの上端部及び下端部のデッキボードの左右側面に設置された非常停止ボタンのそれぞれ横には、いずれも人の通れるだけの空間があり、またステッカーの掲示により、右各非常停止ボタンの所在が明示されていたものであつて、非常ボタンを操作するにつき何ら支障のない状況であつたこと。

なお、前記認定のとおり、本件店舗二階売場の店員である訴外皆吉孝夫は、本件事故発生後直ちに本件エスカレーター上端部のデッキボード右側面に設置された非常停止ボタンを押して本件エスカレーターを停止させていること。

(3)  本件エスカレーターのライザー部分は、くし状になつていないものの安全対策標準に反するものではなく、安全対策標準によれば、スカートガード及び平滑面のライザーには定期的に高分子系潤滑剤が塗布されることが望ましいとされているにすぎないものであるところ、被告会社は、補助参加人との間で、本件店舗内のエスカレーターについて保守契約を締結しており、補助参加人は、右エスカレーターにつき、毎週木曜日に定期的に安全装置全般の調査を行い、必要に応じて機能試験も行つているものであり、また、約三カ月位の間隔でスカートガード及びライザーの摩擦係数を低下させるためシリコンの塗布を行つていること、補助参加人の会社の係員が昭和五四年六月二八日に行つたエスカレーター保守作業結果によれば、本件エスカレーターの安全装置に問題となる点は全く存在せず、また、スカートガード及びライザー部分のシリコンの塗布状況も正常であつたこと、前記認定の本件事故の態様に照らせば、原告圭介の左足は、スカートガードとステップのライザー部分の縦のすき間にはさまれたものであるから、本件エスカレーターのライザー部分がくし状になつているか否かは、本件事故とは全く因果関係がないこと。

(4)  被告会社は、本件店舗において、エスカレーター専属の保守要員は配備していなかつたものの、社内においては、エスカレーター事故対策として、毎年、定期的に、六月ころと九月ころの二回、事故発生を想定して非常停止ボタンを操作させるという模擬訓練形式の社員教育を行つており、事故が発生したときは、エスカレーターに近い売場の店員がすみやかに非常停止ボタンを押してエスカレーターを停止させることができるような体制となつていたこと、また、被告会社のサービス課々長、総務部次長及び係長の三名が、各自、午前中に一回、午後に二回位、四、五〇分から一時間半位かけて、エスカレーターを利用して本件店舗内を巡回しており、エスカレーターに正しい乗り方をしていない人を見つけたときは、その都度注意するなどしていること。

(5)  被告会社は、本件事故当時、子供のゴム、ビニール製長靴をはいて、エスカレーターを利用する場合に危険であることについて、店内放送やステッカーにより、エスカレーター利用者に知らせることはしていなかつたが、本件事故当日にエンドレステープを使用して行つていた店内放送の内容は、店内案内が一二三秒、お客への注意を呼びかけるものが五七秒であり、右注意放送の中で、「どうぞお足もとにお気をつけ下さいませ。お子様連れの方は、手を取つて、エスカレーターの中央にお乗せ下さいませ。」と放送されていたこと、右放送は、エスカレーターの乗り口の天井、中段部の壁面及び降り口の天井にそれぞれ設置されたスピーカーから流れていたこと、本件エスカレーターには、本件事故当時、「手すりにおつかまり下さい。お子様は中央におのせ下さい。」と記載したものの、「おりるときはあしをあげて」と記載し、子供が片足を上げて黒線をまたごうとしている下半身の絵が書かれたもの及び「幼児は必ず手をひいて。足は黄いろいワク内に。」と記載し、親子が手をつなぎ、黄色の枠内に乗り、親はエスカレーターのベルトをつかんでいる絵が書かれたものの三種類のステッカーが貼られていたこと、本件エスカレーターの中段部には、「ベルトにおつかまり下さい。お子さまは手を取つて中央にお乗せ下さい。」と記載し、親子が手をつなぎ、子供がステップの中央付近に乗り、親はエスカレーターのベルトをつかんでいる絵が書かれた看板が吊り下げられていたこと。

(6)  本件エスカレーターのステップの両側縁及び隣接ステップ側の三方に、安全対策標準に合致した黄色の注意標識が施されるなど、本件エスカレーターは安全対策標準をすべて満たしていたこと。

以上の認定事実に照らせば、被告会社の本件エスカレーターの保安設備とその安全確保については、現行法令上は特に責められるべき欠点を見出すことはできないということができる。

そこで、付言すると、一般的にいえば、エスカレーターの利用に際し、利用者がゴム・ビニール製の長靴等をはいて利用することの危険性も一応推認することができるけれども、現在の社会生活の中で、右のようなエスカレーター等の設備を利用するには、利用者自身、または右利用者が保護を必要とする時には、その保護者等においても、いずれも通常の用法に従つた利用方法によることが社会生活上必要な条件と考えるべきである。右の点から、本件事故についてみると、本件事故は、被害者の左足が本件エスカレーターの右側のスカートガードとステップのライザー部分のすき間に巻きこまれその結果傷害を負つたという事故であり、それに被害者の行動も後記認定のとおり、通常の利用方法に従つているとは認められないこと等の事故の態様からすると、法律的には、事故の発生が直ちに被告会社の工作物責任を肯定するということはできないというべきである。

そうすると被告会社が、本件店舗内において、子供用のゴム、ビニール長靴をはいて、エスカレーターに乗降することの危険性につき特に店内放送やステッカー掲示によりエスカレーター利用者に知らせることをしていないからといつて、このことから直ちに、本件エスカレーターにつき、通常有すべき安全性を保持するのに十分な危険防止、安全確保のための設備ないし管理上の配慮を払つていなかつたものとは認めることはできず、その点からすると、本件エスカレーターに本件事故の原因となつた設置、保存の瑕疵が存在したものと認めることはできない。

(二)  なお、<証拠>によれば、原告幾子、原告圭介及び訴外白井やよいの三名は、本件店舗四階子供用靴売場において本件長靴を購入したのち、他の売場に寄ることなく、直ちに四階から一階に降りるべく降下用エスカレーターを利用して順次下の階へ降りて来たものであることが認められ、その間、原告圭介が本件長靴を左右履きかえる機会があつたとは認められないから、右事実に照らせば、原告圭介が本件事故当時本件長靴を左右逆に履いていたのは、訴外遠藤啓世美が原告圭介に本件長靴を履かせた際に左右を逆に履かせたことによるものと認められ、右認定に反する証人遠藤啓世美の証言部分は信用することができない。

しかしながら、訴外遠藤啓世美が本件長靴を左右逆に原告圭介に履かせたことが認められても、右事実が直ちに本件事故の原因であつたと認めるに足りる証拠はない。

また、訴外遠藤啓世美が、子供用靴売場の店員として、原告幾子に対し、エスカレーターの危険性、特に子供のゴム、ビニール長靴がエスカレーターに巻き込まれやすく危険であることにつき、説明すべき義務を負つていたものと認めるに足りる証拠はない。

(三)  むしろ、前記認定の本件事故の態様に照らせば、原告圭介は、エスカレーターの中央に立たずに、右片足で立ち、左足を右足に交ささせて浮かした状態で左足爪先を後方に向け、これをステップの黄色の注意標識の枠からはみ出してスカートガードに押しつけていたときに本件事故にあつたものと認められ、本件事故は、もつぱら、原告圭介を保護、監督すべき立場にあつた原告幾子が、原告圭介の動静に十分注意せず、同児が右のような乗り方をしていることに気づかなかつた過失に起因するものというべきである。そうだとすると、被告会社には本件事故の発生につき、責任を負うべき義務はないということができる。

五以上によれば、原告らの被告会社に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないことに帰するので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(小野寺規夫 中田昭孝 橋本昌純)

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